スタッフのブログ

 2018/12/8 スタッフN

 明日、山王町江鶴亭で行われる、鶴岡まちなか大黒寄席〜講談と落語の二人会〜では、参加者に大黒様の縁起菓子と新酒の振る舞い酒をお付けしましょう。大黒様は太っ腹だから。

でごづげ(大根漬け)はうるち米の米煎りに黒砂糖と水飴で成形し、きな粉をまぶした菓子。

最近、和菓子をつまみにして地酒を嗜む人が増えてきました。よっ、そこのきれいなお姐さん、大黒様のお歳夜は、大黒カフェで、でごづげと新酒を楽しみませんか?

ただし、落語で長屋の花見はやらないよ!

12月9日、鶴岡山王町江鶴亭、鶴岡まちなか大黒寄席、前売り券の当日受付渡しの予約を承っています。09086177167中村まで。FBのメッセージでもOK。阿部久書店でもチケット取り扱っています。

 

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 2018/12/6 スタッフN

御伽衆

12月9日、鶴岡山王町江鶴亭で、鶴岡では初めての講談と落語の二人会を開くが、講談と落語の源流とも言われるのが、御伽衆達の辻噺、つまりおとぎ話だ。

戦国時代、織田信長が側に置いたのが、野間藤六という御伽衆で、藤六が信長に聴かせて大笑いさせたのが、「小豆がこわい」という噺で、これが落語の「まんじゅう怖い」になっている。

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また、土屋検校は盲人だが、話術を活かして信玄、信長、北条氏政ら複数の戦国大名に仕えていた。最も多く御伽衆を召し抱えたのは豊臣秀吉だったと言われる。

御伽衆は、笑い話を聞かせるだけでなく、武芸の話や政談など、豊富な体験や博学、多識と巧みな話術が要求されたため、昔のことをよく知っている年老いた浪人が起用されることが多かった。

細井平洲は江戸で辻話していたところを上杉鷹山に見出され、米沢藩に招かれ、鷹山の参謀になっている。

江戸時代になり、これまでの御伽衆の笑話や講釈が一冊の書物となり、これが講談や落語の源流になったとも言われる。

講談と落語は親戚同士。大黒様お歳夜まつりで行われる、講談神田山緑と落語三遊亭金朝の二人会が楽しみだ。

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2018/12/4 スタッフN

 徂徠WHO③徂徠豆腐

12月9日 山王町江鶴亭で行われる、落語と講談の二人会で、演目にぜひ加えていただきたいとお願いしたのは、「徂徠豆腐」という古典の名作で、徂徠没後290年という年にあたることもあるが、師走といえば赤穂浪士が似合うということも理由にある。

落語、講談、浪曲の、日本の伝統話芸のいずれにもある作品が「徂徠豆腐」で、ストーリーはすべて同じだが、それぞれに違いがある。...
紙芝居にもあるから、日本の四大話芸に全部ある。

よく言われるのが、講談は「読む」、落語は「話す」、浪曲は「語る」の違いだと。ついでに、紙芝居は「語って、見せる」か?

講談は、落語のようにドジな話を肩の力を抜いて聞くという雰囲気でもなく、オチもないが、ストーリーが心に沁み入る感じがあり、作家の風景描写が脳裏に浮かぶ感じがする。浪曲はまさにメロディ付きで語られるので、講談とはやや違い、スーッと耳に入っていく感じがある。

さて、荻生徂徠は若い頃、芝に学問所を開くが、弟子はなかなか集まらない。最初のうちは身の回りの物を売って生計を立てるが、まもなく売る物も無くなりいよいよ生活が成り立たなくなってくる。

11月の中頃、外で「とーふ、とーふ」と、豆腐売りが通りかかる。ここ三日間、徂徠は金が無く、空腹で倒れる寸前で、通りかかった豆腐屋の冷奴を1丁買い求め、醤油を少しかけあっと言う間に食べてしまう。

豆腐屋は上総屋七兵衛といい、徂徠は代金の四文を、細かい金がないからと支払いは次回にしてもらった。

その後、繰り返し、繰り返し、細かい金がないからと支払いは先延ばしにしてしまう。七兵衛は釣銭を準備してきたといっても、徂徠は「細かい金がないなら大きい金もない」と打ち明ける。

ならば晦日にまとめてと七兵衛はいうがそれも当てがないと答える。聴けば豆腐1丁で1日を過ごしていると言う。徂徠の家には沢山の書物があるが、本は自分の魂だがら決して売らないとの言葉に七兵衛は感心する。

七兵衛の支援はその後も続くが、元禄15年12月14日、本所松坂町の吉良邸に赤穂浪士が討ち入りをし、翌日江戸の町は大騒ぎになる。その最中のこと、隣家が火事になり・・・

この後の話は、やはり、神田山緑の「読み」で楽しんで貰いたい。

鶴岡では初めての、講談と落語の二人会をお楽しみに。前売り券の予約受付中。メッセージでもOKです。
次回は、落語「黄金の大黒」を解説したい。

今日は、燃やさないピンクのゴミ袋と黄色いペットボトルのゴミの日だ。さっ、起きよう!

 

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2018/12/1  スタッフN

徂徠WHO②
さて、致道館はどうして、当時「異学」とされた徂徠学を採用したのでしょう?

寛政2年、幕府は林大学頭に対し、「寛政異学の禁」を令しますが、これは朱子学を正学と定め、朱子学によって幕臣の教育と民衆の教化を行うことを明らかにした点で、諸藩に大きな影響を与えました。現代で言えば、文科省による教育指導要領みたいなものになります。

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庄内藩酒井家は、徳川家と兄弟家になるという譜代大名なのに、なぜ異学とされた徂徠学を採用したのかといえば、朱子学と徂徠学との違いからで、朱子学というのは、これも現代風に言えば、「急激な幕府の近代化に歯止めをかける保守派の論理」で、徂徠学はその反対の、革新的な教えだったのです。

当時の庄内藩にとって、必要だった学説は、農政改革をはじめ、藩政の改革とか近代化だったので、自然と徂徠学に傾倒していったのです。

徂徠学は個性を尊重する立場に対して、朱子学は組織体制を重んじる考え方なので、これまた個人と組織の価値観の違いなので、幕府としては、組織維持のために、正学とし、それ以外の教えは異学とせざるを得なかったのです。

それと、林大学と徂徠は、上司と部下の関係なのに、部下の徂徠が上司の考えに背くような学説を述べることには許せなかったということも関係していました。

ところが、赤穂浪士事件での幕府の沙汰を決める時に、林大学は、当時庶民の間に高まっていた、赤穂浪士無罪論を主張したのに、徂徠は、赤穂浪士をヒーローに仕立てては組織が保ちません。個人の義を尊重しながらも、組織としては、社会の秩序を守るべきですと、全員切腹論を述べたのです。上司の林大学に対して徂徠は、大衆迎合主義はよくありませんと意見したことから、上司のメンツは丸つぶれだったのです。

徂徠学を異学としたのは、正に、林と徂徠の私闘が原因だったのですが、しかし、異学禁止としただけで、キリスト教の禁教のような厳しい措置ではなかったのは、酒井家が譜代大名だったからです。

次回は、いよいよ、徂徠の若い頃の豆腐屋の主人との友情について語りましょう。

鶴岡まちなか大黒寄席は、12月9日、江鶴亭です。

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2018/11/23  スタッフM

先日19日「津軽三味線+タブラ」ライブ盛況に終わりました。何かとトラブルもありましたが無事に終えることができました。みなさまありがとうございました!

↓津軽三味線の佐藤通芳さん

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↓タブラの吉見征樹さん

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↓スタッフMの琵琶

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2018/11/13  スタッフN

徂徠WHO①
荘内藩の藩校致道館ゆかりの荻生徂徠が亡くなってから今年で290年。
また、師走と言えば、赤穂浪士事件。赤穂浪士事件と言えば、荻生徂徠というくらい、有名なお話。

12月9日、大黒様のお歳夜まつりで賑わう鶴岡のまちなかで、第三回目となる「鶴岡まちなか寄席」を行うが、今回は講談の名作「徂徠豆腐」と古典落語の名作「黄金の大黒(きんのだいこく)」の競演だ。

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演じますは、講談界期待の真打ち神田山緑と古典落語の若手真打ち三遊亭金朝。鶴岡では初めての本格的な講談と落語の二人会となる。寄席ファン必聴の企画になる。

このページでは、シリーズで、「徂徠豆腐」と「黄金の大黒」を解説していきたい。
第一回は、致道館と徂徠の関係について。

資料によれば、徂徠学は古文辞学(こぶんじがく)ともいわれ、古い辞句や文章を直接続むことによって、後世の註釈にとらわれずに孔子の教えを直接研究しようとする学問になる。

庄内藩における徂徠学の元祖は水野元朗(みずのげんろう)と疋田進修の二人の藩士で、元朗は、庄内藩学の基礎をつくったともいわれている。

やがて、藩の多くの儒者が江戸在職中に徂徠の門に学んだことから、この学風が広く藩内に普及した。

また、後に初代祭酒(校長)に任命される白井矢太夫が、徂徠学で培った抜群の見識をもって寛政の藩政改革に大きな功績を挙げたことから、藩主忠徳は矢太夫を深く信頼するとともに、徂徠学が実際に藩の政治に役立つ学問であることを高く評価したと言われる。

このように、徂徠学を学んだ人材が藩の指導的な立場にあったことから徂徠学を藩学とした要因であるといわれているが、当時、異学と言われた徂徠学がどうして荘内藩で受け入れられたのかは、次回に委ねたい。

鶴岡まちなか大黒寄席は12月9日、大黒様のお歳夜まつりで賑わう、江鶴亭で昼と夕方、二回行われる。当日は、まちなかを大黒舞の行列も通過する。あー、こりゃ、めでたい、めでたい〜

 

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2018/11/04  スタッフM

本日は午前午後と独演会やって、夕方からは知人が主催するbimbombam楽団のライブに行って来ました。11/19の津軽三味線とタブラのチラシを配ってきました。「あーこれか」と言っていた方がいたのであちこちの広告宣伝も効いてるようです。19日は僕も津軽三味線とタブラとの競演しますが、一体どうなることやら。。もうひと頑張りです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2018/11/03  スタッフM

先日ある新聞に「地方創生のリアル」といったタイトルの衝撃的な記事が載っていました。概ねの内容は「地域活性化に資する事業では、例え大きな成果をあげたとしても普通なら成功者に続けとなるはずが、特に地方では賛否両論となり、困難な事業に挑戦するものを育てるという話にはなりにくい」といった内容でした。さて我が故郷庄内はどうだろうと考えてみると、最近はベンチャー企業や、新しい試みを行う若者等の活躍は目覚しく、また昔と違い市民はそれを支える土地柄になってきている気がします。蜘蛛の糸と繊維、水母とジャズ、出羽三山とオーケストラ等、最近特に目にするのは、一足す一が十にも百にもなるコラボレーション的なものが、従来のものには無い新しい価値を生み、市場や地方の活性化の一助となっているようです。先日、私はある活動の某テレビ局の取材で「なぜこのような活動を始めたのか?」と聞かれた時「ここにはまだまだ歴史や文化の宝が多く埋もれているから」と答えました。時が移り変わり、今ではそれ単体では見落としてしまいそうな先人達が残してくれた多くの貴重な事柄が、まだまだ多く庄内には残っているような気がします。それらが陽の目を浴びるようにするには、ひょっとしたら今時の工夫を足す必要があるのかもしれませんが、それはそれで簡単な事では無く、まるで化学の実験のように中には爆発して失敗する事もあるでしょうが、中には今まで見たことも無い素晴らしい事が起こり得るかもしれません。私も琵琶という古くから伝わる芸能をやっていますが、やはり次の世代に残していくには新しい試みが必要と感じ、演劇や現代音楽とのコラボレーションをやったり、また十一月には、まちづくりスタジオ鶴岡Dadaで津軽三味線とインドの楽器タブラとの共演も試みる事になりました。どうやらネットで調べても前代未聞の事であり、どういった化学反応が起こるか分かりませんが「故きを温ねて新しきを知る」の精神で、これからも挑戦していきたいと思います。

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2018/11/02  スタッフN

仁輪加。にわか。
近世、江戸時代の庄内は芸能、興行のメッカで、上方などから北前船に乗って、俄(にわか)を演ずる旅芸人や歌舞伎役者、相撲取りなどが多く訪れている。

庄内は東北での芸能興行の始まりの地で、最初に鶴岡や酒田で興行を打った後に、山形や仙台、秋田などに巡業したと言われている。

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パトロンやスポンサーを持たない芸能は興行と呼び、寺社仏閣で公演するのは法楽と呼んでいたが、法楽では寺や神社からのもてなしもあった。つまり、アゴアシ付きのコンサートツアーが法楽で、おひねり、投げ銭が頼りの公演は興行と呼ばれるものだった。

庄内では出羽三山や善宝寺などを中心にした法楽が多く、芸人達の間では、いつかまた、寺社仏閣の関係者の目に留まろうと、俄芸人も多く集まってきたという。つまり、庄内で公演出来るとそれを看板によその土地の法楽、つまりアゴアシ付きの公演の売り込みも可能になってくる。

俄は、この間のNHK朝の連ドラ、「わろうてんか」にも登場した屋台掛けでの演芸で、喜劇や曲芸、力試し、物真似などがあったが、鶴岡の湯田川の歴史をみると、俄踊りという名の芸もあったようだ。

関西や九州では、俄と呼ぶことが多いが、関東あたりでは、茶番と呼んでいた。茶番劇の由来で、
法楽や芝居小屋で、お茶番、お茶出しをやっていた下っ端芸人が演ずる劇のことだが、茶番狂言というのがあって、狂言、歌舞伎もまた、庄内では多く演じられた。

庄内は古くから、俄芸人や茶番芸人が、明日のスターを目指して、デビューする土地だったのだ。
地元民もまた、そんな芸人達を応援していたのが庄内の熱き民情というもので、この間、旗揚げした、つるおかシアターコミッションも、そんな芸人達、表現者を支援していきたいものだ。

さて、その俄、漢字では、仁輪加とか二和加とも書くらしい。いずれも輪や和に加わると書く。仁という漢字にもある、二という字は人と人との横のつながりを意味するという。つまり、人と人とのつながりで出来た輪や和に加わることが、にわかの本当の意味になるようだ。

つるおかシアターコミッションがこれから発行する、季刊情報冊子の題字も、「にわか」としたい。つるおかシアターマップを中心としたこの雑誌を通じて、まちなかに人と人とのつながりによる輪と和を作り、そこに多く人が加わることを考えていきたい。

つるおかシアターコミッションでは、そんな冊子を作ることが好きな人達からも加わって欲しいと考えている。

お問い合わせは、ホームページの問い合わせフォームからお願いしたい。